古代エジプト(こだいエジプト)とは、古代のエジプトに対する呼称。具体的には紀元前3000年に始まった第一王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入るまでの時代を指す。
古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域の面積にして日本の4倍程度の範囲だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯(ナイル川デルタ)が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、王の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。
ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。
最初期における農耕文明の1つとされるメソポタミアと早くから交易が行われていたとされるが、民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的安定していた。
出典:Wikipedia(古代エジプト)